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ふっと浮かんだ、それは時間が経ってしまった角煮のつゆに浮かぶ脂のように


今日は小説を読んでいて考えた考察について。


読み始めた小説は大好きな恩田陸さんの新作『愚かな薔薇』


本については読み終えたらまた綴りたい。


小説を読んでいて、私が興奮している箇所は大体登場人物のセリフの前後の描写であることに気づいた。

どんなふうにその状況を、ある意味周りくどく、ただの説明にならぬように綴るか。

匂いや痛みが伝わってくるような言葉の羅列をしていると考えると、本当にもの

すごい。


描写の描き方で、好きな小説かどうかわかると言っても過言ではない。


戯曲はほとんどその、小説のセリフだけを切り取ったものなのだろうか。

戯曲にはト書きがあるが、ト書きと小説のセリフ以外の箇所もイコールではないと思う。



では、映画・演劇では。

その小説の描写をそう再現するか。

言葉のない演技。カメラがどんな視点であるか。

天気と心の関係。

などなど、上げ出したらキリがない様々な方法で表現しようとしている。


小学生の頃、ある漫画で(『こっち向いてみい子』という漫画。。。懐かしい。。。)

主人公が盲目の友人と映画を見にいき、セリフのないシーンを小声で耳元で教えてあげるというシーンがあった。

言葉のないシーンが映画の中で重要な役割を果たすことは大いにある。



そして、ダンスでは。

描写しかない。セリフの前後の描写だけを抜き取ったものだ!ダンスって。


そして見えてくるものが物語だとは限らない。

エッセイや、説明文や哲学書かもしれない。


いい小説のように、匂いや痛みが伝わる身体の羅列ができれば、伝わるものになる。

誰にでも一番最短で伝わる方法でなくてもいい。なのでジェスチャーじゃなくていい。

言葉のようにはいかないけれど、身体の動きの羅列の可能性はまだまだある。











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